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これは、劇団ING進行形の怒涛の稽古記録である。
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今日も調整で終わってしまった。


 

3ページ後半の、あるシーンを観て……台詞待ち・出待ちのように思えてきて、
なんだよそれじゃあそこら辺の芝居と変わらねえじゃねーか、と一瞬がっかり。

これじゃ駄目だ……ほんと、発見できて良かった。

少なくともこのシーンは、婦人に主導権がほぼ移行しており、それを確実なものにするために、さらに畳み掛けねばならない。たくさんの婦人(婦人+コロス)の台詞の応酬。その息遣いは鍵だ。まるで活弁士?
そうでなければ、婦人がその直後にする見せ場?がパーになってしまう。

うむ。ストンと落ち着かせることも大事だが、そうでないときだってあっていい。
情報を整理する時間も、息をつく暇も与えない。そんな場面があったっていいだろう。
俺はスリリングなものを作りたい。まあこれは、ある側面ではエンターテインメントにも通ずるはずだ。

【今日の稽古場発言録】
動き出すタイミングには必ず絶妙な部分があるはず。アクション自体は何パターンあったとしても、最終的に絶対的にしっくり来るものは一つしかないはず。そうでなければ職人じゃない。
台詞の節を感じ、内面(状態・状況含む)と連動させ、アクションポイント・トリガーを見出せ。

P.S.
とはいえ、ややしっくりこなかった婦人の衣装を改めようと上野へ行ったため、実質1時間ほどしか私は観ていない。その割にはまあまあ、かな……。なお、上の画像は上野画像w
 

演劇死神

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鈴木忠志演出「シラノ・ド・ベルジュラック」観劇後、そのまま稽古場へ。

欠席:遠藤(コロス役)・伊藤(男役&演出助手)

各自、自主復習の時間を取り、その後、前日つけたコロスの動きを、婦人と女を交えて調整。
結局、新シーンに着手できず。いい加減、突入せねばなるまい。本番は刻一刻と迫ってきている。

【女】
例の石のシーン。身体性についてはだいぶいい。
しかしそれに見合った音がついてきていなかった。
ムッとかブスッとしてるときに、ずるずる悲しんでる感じは必要ない。
ほれ、写真の顔見ると、明らかにやられすぎ。
口立てのとき、私はこんな表情してましたかね?
兎にも角にも、なぜ石である必要があるのか、正当化しっかり。
あとはまあ、キャラクターの質感(タイプ)が
“粘土”というより“大量の水を含んだ泥”のように見えたのがまずかった。


【婦人】
婦人としての間の正当化が出来てなかったのは詰めが甘いとしか言いようがない。
また、コロスの台詞部分で婦人が何もしていないように見えたのがいただけない。たとえ見えなくとも、内面の動きはあるはず。


【コロス】
音が軽いのが大問題。かなり良い部分もあるのだが、全体的にブレがある。
感情を把握しても、立場や状況を把握してなければ結局大きく外れる場合もあることを肝に銘じなさい。


P.S.
アニマル・マテリアル・タイプなど、それとなく見出し始めたほうが良い。
女役で少し触れたが、これはコロス含め、どの役にも言えることである。

 

演劇死神

最近はブログ記事をボサリーノ状態の私。それくらい追い詰まってました。

かもめの反動でしょうか?
余裕がないのはいつものことなのに、さらに時間の無さが焦りを産みます、大変です( ̄◇ ̄;)

内容自体も短時間勝負みたいなとこがあって、まさにあの手この手。 罵倒と挑発の真剣勝負。

どこまでやってもゴールの見えない行為だけど、
この世界にズッポリ入り込めるよう武装しないと、
やり切ってない時は確実に解る。
そんでもって今回はまだまだやらなきゃならないことが目に見えてある。

そして暑い夏が始まった(; ̄O ̄)

【PS】
只今芸術劇場で絶賛上演中。
野田演出『ザ キャラクター』
昼に行ってきました。
明日は鈴木忠志演出『シラノ・ド・ベルジュラック』

ともはる

ヒロインと対立関係にある婦人(中山)がお休み。
だからこそ、コロス諸君にとってはチャンスであった。

そう、今日はコロス・デー。

相変わらずヒロイン(近原)を
演出助手(伊藤)に託し、

その間に
連敗?続きだったコロス達と向き合う。

無事、2~3枚目中盤くらいまで触れ、進展することが出来、有意義であった。

きっと彼らは、取っ掛かりを見出すことに成功しただろう。少なくとも私は手応えを感じた。

これまでは、
好き勝手、情念に沿って
動的アクションを起こしていただけに見受けられた。
しかし、今日は違った。
ある制約・規律・ルールのもと、しっかりと、情念に呼応して
動的アクションを起こしていた。

動き・存在そのものに対する説得力が出てきていたように思える。

<ただ沿う>のと、<呼応する>のとでは段違い。
<好き勝手>と、<しっかり>というのも段違いなのだ。

【今日の発言】
動きをトレースしたり統一する際、
形だけやって、真似たつもりになっていることがしばしばあるだろう。
自分の動きや他人の動きを音(SE)化しなさい。

P.S.
少し前の稽古から、演出助手の口から、<ダンサブル・アクション>という言葉が発せられている。
実はかなり嬉しい。自分らのメソッドに対して意識化がなされ始めている証拠である。
これが皆に感染し、空気のように定着することを祈っている。

どんなことをやってきたのか。どんなことをやっているのか。

漠然とでなく、しっかりと意識出来るように皆がなれたら素敵だし、無敵だと思う。

演劇死神

昨日のこと……芥川賞・直木賞が発表された……うむ。
毎年二回あるの多い気もするが、チャンスあるのは作家にとってはいいことだ。
芥川賞は毎回楽しみにしているので早く読みたい。

もう一つ……バレーボールの大山加奈が現役引退するという。
スポルトの特集を見ながら、泣きそうになった。
僕と同じ年、まだまだオリンピックにも挑めた年齢だ。
大好きなバレーボールをやり続けただけなのに、怪我に夢を阻まれる。
体を使う者は諸刃の剣である。

昨日のスポーツ芸能ニュースはさておき、我らが稽古。

今回は演出助手としてみんなの動きを縦の関係から見ている。

いろんなことが見えてくる。
空気なり、動きかた、間。
何をやろうとしているのか。実際できているのか。

演じてる役者は意外と気付かないことが多い。
だから演出家がいるのだと実感している。

近さんと一緒にパーシャを作る時、色々話し、演出の指示をともによいものにしようと試行錯誤している。
ほんの些細なところでも、状況や心情から肉体や声がズレると、すぐわかる。

人間は複雑でありまた単純でもあるなぁ。


指示を出ながら見えてきつつある自分の姿。

僕の言うすべての言葉は、僕自身に語っていた。

あらゆるヒントの中からゴールに向かって進んで行く。

自分を見つめる。
じっとではなく、遠くから適度な距離で。

自分が舞台上にどのように存在しているのか。
立たされているのではない。

真実には責任が伴われるのだから。

まだまだこれから!
作品自体はまだまだわからないが、話というより、わからないというスリリングな空気が出ると良いな。

by 全

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