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これは、劇団ING進行形の怒涛の稽古記録である。
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2004年に旗揚げし、いつしか目標になっていた演劇の聖地<TOGA>
そこでのコンクールに初参加したのは去年のこと。あれからまだ1年しか経っていないとは……。

去年はチェーホフの短編「コーラス・ガール」
利賀での発表を終え、翌週には渋谷で再演。さらにその1ヶ月後、再々演をしている。
しかし劇団の本公演としては終わりを迎えるも、年をまたいで劇団員を3ヶ所に派遣している。
今年は、やはり念願であったタイニイアリスという劇場での新設フェスティバルに参加することが出来た。初の飛び飛びロングランであった。この公演中、実のところ、利賀へのエントリーは全く考えてなかった。

コンクールは、課題戯曲として提示された4作品中、1つを自ら選択、決められた日に1回限りの上演をするというもの。課題戯曲には、以前、利賀で受賞した団体(百景社)が別の場所(アトリエ・センティオ)で発表していた作品があった。とても興味深く、自分がやったらどうなるだろう、とワクワクしたものである。

それが課題戯曲になっていたなら、演劇人として、やらないわけにはいかないだろう。
その上、個人的に、去年の手法を比較的用いやすい戯曲だと判断、それを昇華させて発表することで、
自分達の成長を残酷なほどに確かめることが出来ると思ったのだ。

団員:伊藤がロングラン中の公演の朝に課題戯曲を数人分購入してきた。
劇場が新宿にあったので、劇場入りするついでに紀伊国屋書店で調達したようである。

応募書類を取り寄せるための書類を作成して郵便局に持ち込んだのは、
タイニイアリスでの公演(自分らの作品発表)が終わってから打ち上げまでの短い間であった。

急なエントリーだったから稽古場は押さえてないし、そもそも、震災の影響で大打撃を喰った前回の稽古場事情を考えれば、稽古状況がどれくらい過酷なものであるか、始まりもせずに想像がついた。
役者の募集も出来てないのだからなおさらである。というか、審査通過しなかったら……。

まず戯曲を読み、あれこれ妄想を膨らまし、以前購入した、消えるボールペン(摩擦で書き込み消せるのだ!)でひたすら科白を割っていく。数日間の試行錯誤の末、小型電子メモ:ポメラで上演台本化。
やがて、完成した上演台本を読んだり、立ち稽古したりするうちに、科白割りがあれこれ変動していき、演出の最終イメージもあれこれ変動し、作品的には深化していったように思えた。

いつの頃からか、私は、この作品を観た審査員から、去年より成長してないような反応が垣間見えたなら、演劇界から去ろうと考えていた。そのせいか、自分自身、物凄く冷静であった。気持ち悪いくらいにドライだった。もちろんやる気はあった。心の中ではメラメラ、いや、グツグツかもしれない。
ちなみに去年はほとばしっていたと思う(苦笑

さて、前置きはこれくらいにして、
携帯で適当に撮り溜めた写真を使って、せっかくだから、今回の旅を振り返ってみようと思う。

08月18日(木)
この日は稽古しない予定だったが、そうもいかず、急遽この日が最終稽古。それが終わったのが21時半。その後、家に近い者は荷物を取りに、そうでない者や荷物持ってきた者は食事やら銭湯やらへ行って時間を潰していた。伊藤のみ、レンタカー屋へ。既に舞台監督さんもレンタカーをゲットしたようだ。今年は無事2台で済んだ。早めの予約が功を奏した。去年はさらに1台かかって金銭面が悲惨だった。

まあ、とにかく、我が家付近の大通りに23時半頃には2台の車が到着。それなりに大きな車種だったため、家の前につけるのは厳しい。車が来る間に、我が家から公演で使う荷物を数人で大通りに運んでおいたのは正解だった。急遽同行することになった渡辺美帆子事務所の方々とも合流ができ、ほっと一息。

出発直後、
カーナビがなかなか不便なやつで、道を通り過ぎてしまい、遠回りするということがあり、心配になったが、無事、目的地につくことが出来た。
(途中、1台ミスして高速から降りちゃったけどw)
08月19日(金)
右の写真は、どっかのサービス・エリア?
稽古後の深夜運転。がんばれ・東日本! がんばれ・伊藤!
(実は未だに、サービス・エリアとインター・チェンジの違いが分かりませんw)
 
深夜出発し、朝には富山入りしていた。去年利用した恐ろしく狭いうねうね山道でないほうの道があるとのことで、通常より1つ奥のインター?で降り、近くのガストで14人が時間を潰した。ドリンクバー付きモーニングセット最高♪
その後、近くの大型ショッピングモール?で買い出し。
芝居で使うか迷っている小道具やらお夜食となるカップ麺やらお酒やら……。
本部には15時着と連絡しておいたので、まだ時間があり、去年数人が行ったという天竺温泉へ。空いていていい感じでした。私は、髪の毛が膝裏まで伸びてるので、それを乾かすための時間がかかりすぎたり、利用者に女性と勘違いされかねないので、自粛していたのだが、我慢できずに温泉入りましたw
温泉から出て、この後の観劇漬けに向けて少しの時間ではありましたが、まったりお昼寝タイム。
そんな余裕をぶっかましながら、我々は現地入りしたのでした。上の写真はコンクール参加者パス。

本部で挨拶を済ませ、宿舎へ車で移動。
去年と同じ宿舎。目の前にはゲレンデ跡地。そう、今回発表の場となるリフトシアターである。

宿舎の使い方の説明を受け、参加者パスを受け取り、しばし待機後、時間となった。いよいよ、である。
19日(到着日)&20日(仕込み1日目)、合わせて計6作品の観劇。ありがた&忙し&仕込み時間ピンチw

観劇1 17時 紙風船(山口) @利賀山房
コンクール参加者の作品である。去年の評判通り、ハイクオリティーな作品。ストイックな美しい芝居。
うちとジャンルも作品も全然違うけど、自分がこの作品をやったらこんな風に処理できないと思った。
女優さんが超うますぎる。俳優さんもうまかったが、何と言っても、女優さんの虚構化されたしっとりとした存在とドライな演技がやばい。あと、彼女の声が美しかった。よく通る声だし。熟練……って感じ。目を瞑って声だけ聞いてたときもある。顔見てやや残念。顔が酷いのでなく、声が美しすぎるのだ。
途中音楽がかかって、夫婦の寝転がって退屈そうな表現の足の動きのシンクロが面白く、ふと、鈴木作品のシラノの女コロスのナンバーっぽいなぁと思ってしまった。
ただ、最初から紙風船を妻が持ってたのは議論呼ぶんじゃないかな。妻が割って壊すのを現代的な強い女性の意だとしても、新聞紙で風船を作って男が差し出す発想はネタが割れててもいいんだけども。

観劇後、夕食もぐもぐ。そして再び観劇。
観劇地獄ではあるが、金のない私にとってはまたとないありがたい機会である。

観劇2 19時半 シラノ・ド・ベルジュラック @野外劇場
本部で雨合羽を無料配布していたが、大丈夫だろうと根拠のない思い込みで貰わず。
だがさすが現地スタッフ。上演途中から雨。観客はがさごそ雨具を取り出す。私はあきらめw
舞台照明に当たる雨を見て、結構降ってる?と思ったら、客席はそうでもない。
私だけでなく、他の観客もそう思ったらしく、ちらほら至る所で、上を向き、手のひらをかざしている。
その間にも舞台は続行。雨も続行w
雨で足場が悪かろうと、女コロスは次々と独特な動きやポーズを決めていく。本当に素晴らしい。実は、打ち上がる花火よりも私にとってはお目当て。というのも、新国立劇場で観たシラノの印象が強く残っているため、盛大な大量の花火でなく無数の花びらのほうが個人的に好きなのである。ところがどっこい今年は、花火は花火でいいかもしれぬと思ってしまった。エンディングのナイアガラのせいだと思う。
しかし今回残念ながら?、女コロスや花火よりも印象に残ってしまったことがある。
それは、蛾である。でっかい白い蛾が床にぺたんぺたんしてるのである。
こともあろうに奴は、主演俳優の左袖に止まり、じわじわとのぼり、左肩・首後ろを通って右肩へ。しかし彼は科白を続ける。蛾を払うような素振りを一切見せず、微動だにせず。ナウシカのテト(キツネリス)みたいだが、あきらかに手のひら大の蛾w あの状況にうちの出演者が陥ったら……と思うとぞっとした。

終演後、私以外のメンバー全員、帰っていった。
というのも、満席で、既に代表者しか観劇出来ない状況だったのである。

正直な話、次の作品こそ、皆に観てほしかった。

去年、「新・帰ってきた日本」を利賀で観た。
自分らの作品発表を終えて東京へ戻り、しばしして何人かで再び利賀入りしたのである。
伊藤が諸事情で同行せず、激しくがっかりしたのを今でも覚えている。だから彼には特に観せたかった。
率直に言えば、何十年もやり続けている、世界に誇る訓練<スズキ・メソッド>が、他者から見ればどれだけ滑稽であるか、分かってなければとてもじゃないが創れない作品だと思う。究極の異化効果というか。
鈴木忠志という演出家がいかにシタタカなやり手であるか。恐ろしく若いセンス。それでいて古く懐かしい。
勝てない。何をやっても勝てない。
技術も経験も人脈も師匠もないペーペーの演出家志望の当時26歳の男が何を言うかって感じだが。
あのとき、客席の反応を観て、数週間前にこの地で発表した自分らの「コーラス・ガール」を思い出した。
チェーホフ作品のフツーの科白を、コロスが物々しく奇妙な動き(他者にとっては)をしながら発した。
客席からは笑い声が聞こえ、ロシア人観客には「スパシーバ(ロシア語でありがとう)」と言われた。
審査員の指摘を改善できぬまま、利賀での発表1週間後に(渋谷のギャラリー・ルデコで)再演したが、
とてつもない爆笑の渦であった。
その意味が、ようやく分かったのである。
自分がその数週間後、「新・帰ってきた日本」の客席で、他の観客とともに爆笑したことで。

おっと、去年(2010年)の回想はこれくらいにして今年に戻ろう。

観劇3 22時 新々・帰ってきた日本 @岩舞台
相変わらずの雨なので、本部で無料配布してた雨合羽をいただく。
作品は去年に引き続きって感じ。本当にタイトルの一部が同じなだけあって、衣装も同じ。最高(笑
去年のような、動きによる面白さはそれほど感じなかったが、それでも面白い。この面白さは科白の文章とその言い廻しとキャラクターにあるのか? 去年のほうが好きだが、今年のだって充分すぎる。
シュールだった。やっぱり、他者にどう映るか、世界観と調和させながらしっかり遊んでいる気がする。
くそー。稽古が見たくて仕方ない。色々聞きたくて仕方ない。無理だろーけど。
余談だが、舞台美術にちょっと、いや、実を言うとかなり動揺した。舞台中央の提灯にカタカナで『モンロー』と書いてある。今回発表した作品に、モンローの有名な場面を利用した演出があったからである。
演者の動作でさすがだなって思ったのは、看護婦姿のお姉さんと、兄貴w
兄貴は、あの雨の中、高速で軽快に、一段一段高さのある階段を駆け下りた。転倒しないのは、上から床を踏み鳴らす感じで一歩一歩、歩を進めるからだろう。だがあの速さは怖い。ついつい進もうと前へ前へ重心かけたらやばいと思われ。この歩行に(走らないけど)やや近いのは、今回発表した作品の役ではゴールディであろう。稽古場で、能の歩行やその訓練の仕方を意識して、あれこれ指摘していたのだ。死神のイメージがあったしね。
お姉さんは、お酌しに行くときのあの独特の歩行。腰くねくね歩行&ぴたっのループ。あれ、真似できない。難しい。原理が分からない。あの動きだけで、敗北を感じずにはいられない。というのも、今回発表した作品にオカマだかゲイだか分からぬコロス(いかついキューピー)が4人登場するのだが、その動きにそのまま流用できるかのような動きだったのだ。ぐふっ……。
歌謡曲に合わせてその歌詞を発するのは、去年も見たし、自分らも結構前からやっている手法だった。柴幸男がラップを取り入れて有名になる前から、こちらはエセラップではあるが……。チャリT企画の代表さんが、うちのその手法を見て、アングラップってどう?って一方的にネーミングをつけてきたこともある。

終演後、ボルカノで、この日観たコンクール作品についての、審査員の講評を(勉強になるし)盗み聞こうと思いもしたが、単身で乗り込む勇気もなければ、観たばかりの「新々・帰ってきた日本」で思ったことを参考になるだろう役者に伝えようと、迎えの車を呼ばず、徒歩で宿舎へ戻った。
車だとあっという間だが、歩きだと意外とかかる。真っ暗なのに、懐中電灯持たずに気合で歩いて、無事辿り着くことに成功した。
左はその際に撮った看板。ファイル名を見るに、23時19分54秒撮影のようだ。
 

続きはこちらへ。
http://rady.side-story.net/Entry/60/

 

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