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これは、劇団ING進行形の怒涛の稽古記録である。
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課題は山積み。これでもか引っ張り出すと問題点は限り無く出てくる。
しかもそれはどんだけでもサイゲンなく引っ張り出せる。
見方なりを変えたら二倍にも三倍にも膨れ上がる。

ヤバイ( ̄◇ ̄;)

けどこれまでも何度も選択し、修羅場をくぐって来たじゃないか!
ある意味今回のは挑戦だなって思う。

広く考え過ぎず、深くシンプルに創る。

短い作品になるだろうが、
きっと大きな挑戦になることだろう!

ともはる

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伊藤は欠席。近原はひたすら自主練。
最初は音(音程のみ)にとらわれてたが、内面が形成され始めたのか、それっぽい響きが聞こえてきた。

吉田はグロッキーだった。咳が凄かった。熱も出てきてたようで、吐き気もあった? とにかくむせてた。

しかし、コロスに対して、今日も少々触れた。触れずにいられなかった。
と言うのも、素朴かつ重要な疑問が浮かんでいたからだ。

<ある特定のポーズでずっと突っ立ってていいのだろうか>

そのポーズに何の意味があるというのだ。職業や役割の説明をそんなことで説明してどうする。そんなの衣装で充分だ。もちろん考えに考え抜いて結果的にそれらのポーズを取るのは問題ない。きっと使うべき部分もあるだろう。しかし、ただなんとなくその姿勢で居るならば、この8枚全てがそれで完結しかねない。

己の台詞を発さなくても、その際のアクションでそれとなく雰囲気が伝わるような感じが欲しい。言葉に頼り切っては駄目だ。状況や状態や感情を媒体とした動的生命体っつーか。その上で言葉を紡いで欲しい。

言葉は無力だ。しかしその言葉を人間は扱っている。それに依存している。だから人間をもっとも貶めるには、言葉を奪うことが有効である。発する能力を猿ぐつわとかで封じることは最大の恥辱である。しかし一度、言葉を失い、失われていく身体の本来の力を取り戻し、その上で、もう一度、言葉を取得して欲しい。言葉を無条件で受け入れるのでなく、言葉と対等になって欲しいのだ。

しばらくして吉田に実践をさす。

彼はどうやら婦人になり切って、惨めな感じや苦しんでる感じの動きを構築してたようだ。
しかし私は指摘した。それはまったくの見当違いである、と。

確かに、今回のコロスは、婦人の言葉の代弁もしてなくはない。
台詞を割り振ってるのだから当たり前っちゃ当たり前。
しかし勘違いしてはならないのは、言葉の代弁であって、気持ちの代弁ではない、ということだ。

コロスは婦人の分身ではないのだ。
婦人側ではあるが、別に婦人の分身ではない。婦人の分身だとしても、それは婦人のある一面である。
残虐・拷問・悪魔的・攻撃的・悪意 etc
つまり、責め立てられる女の、被害妄想が膨らみ、その女の脳内に再現された婦人(怒りの化身)でなければならない。漫画とかで、主人公の脳内などに現れ、突如囁き始める悪魔のような存在、と言える。

昨日言及したコロスの役割についての理解が甘かったようである。コロスのマテリアルは何であったか。

今一度考えて欲しい。頑張れ!

……と、これで終わりそうな今日のブログ記事だが、そうではない。

実は、今日は主に中山を見たのだ。

まず、中山の自主練(これまでの復習)中の実践に少々口を出す。

文を細分化し、文節などで(場合によってはもっと細かく)区切り、単語一つ一つに意味やイメージや感情なるものを見出し、そのイメージング・プロセスによって一音一音の流れを意識し、再び台詞へと還元しなければならない。リズム・起伏・音程・音圧 etc

自分が思っている1.2倍くらいの強さでやってくれて構わない。
また、その分、動き・所作などは、時に人形のように美しくなければならない。発する言葉の強さに合った身体性が確立できれば、胡散臭さなどという低レベルな次元などどうでも良くなる。胡散臭いというのは、所詮、言葉と身体が連動してないことなのだ。

ストイックに頑張って欲しい。

どうやら彼女自身、独特なメディア式発声なるものがより細かなものとなっているのを感じた模様。
「王女メディア」をやったのが去年の2月下旬。
その後、「オリジナル作品」を経て、「人形の家」をやり、今年の「かもめ」へと繋がった。
ということは、それなりに要求されるもののレベルが上がっているのは至極当然と言える。

その後、昨日の終了間際に入れた動きの復習と調整をし、少々先へ進むことに。

   「間、どれくらいだと思う? 長い? 短い?」
婦人「うーん、長いかなぁ」
   「やっぱ? じゃあ試しに引っ張れるだけ引っ張ってみて」
婦人「(実践)」
   「うーん、ちょっと気持ち悪いな。静止してるときは良かったんだけど、動き出しが気に喰わん」

色々と二人で試行錯誤。

結果……
ING版メデイア(王女メディア)の「奴にはセコムがある」的な動きだった。
指の出し方。目線の運び。首の角度。顔の表情。そして全ての速度。丁寧に、しっかりと……。
ある種、怪談話などで、人を惹き付けるのがやたらうまい語り手みたいな……。
また、その空間に立てられたろうろくの火みたいな……。

狙いが分かってくれたようで安心した。
ちなみに、中山さんはホラーが苦手です。痙攣します。そういう役が劇団では多いのに(笑

今日は、婦人の動きしか固められなかった。と言っても、終了間際になんとなく触れただけの部分もある。
明日、コロスも交えて、2ページ目が完成すればいいなぁ、とは思っている。

P.S.
今回の作品は特に、怒りを原動力にし、悪意を込める、という意識を持つといいかもしれない。

演劇死神

昨日の部分を演出助手(伊藤)が女役(近原)に引き継いでいた。
私は婦人(中山)のアクションを少々つけた。

一応、2ページ目は半分を越えたことになる。

そういや、女役の動きの不自然さ(固さ)を指摘した。
あるべき身体、なるべき身体。己の役に合った身体を発見しなさい。
そう発すべき身体。そのココロが宿る身体というものがあるはずです。
それが出来たとき、コトバも自然に出てくるようになります。タマシイの乗った言葉が……。言霊が……。
頑張れ! まさに世阿弥さんですな。

稽古途中、ふと、昨夜浮かんだ妄想を皆に話し始めた。
上演台本とは違った物語の始まり方や終わり方など。
これを話すことで、上演台本の裏テーマ(個人的にはメインテーマ)に触れさせ、各人物の役割について、より考えを深めて欲しかったのである。

そのまま、昨日に引き続き、コロスについてのヒントを出した。若干、重複するが……。

コロスは正義の使者である。正義の死者でも?

客観的事実をそのまま改変せずに感情的に述べることにより、婦人の悲惨さ・無念さが際立つ。

情景としては……
誇張表現する婦人。その後ろで婦人の肩を持ち、激しく怒るコロス達……と言ったところだろう。

観客の目には女が責められて当然くらいに見えねばならない。いかに女を悪に仕立て上げるか。
まあ、裁判などでいうなら、婦人は被害者、女は被告人(加害者)、コロスは検察、と言ったところだ。

伊藤がブログでカフカの作品のようだ、と言及したので、
一応自分としても、つかこうへい「熱海殺人事件」みたいだったりしなくもない、と発言しておいた。

P.S.
近原に衣装を着てもらった。なかなか良かったし、サイズも大丈夫そうで良かった。

演出助手の伊藤氏がTシャツを早速着ていた。
うふふ……。

by 演劇死神

暑い……、今日はヒローイ場所だ!
ここの反響がなかなか凄くて声をどこまで出して良いのか迷っちまいました。

Sir, yes sir !!

掛け声をアップ後に遠藤くんとやる。ただデカい声で返事してるわけじゃない。
だからと言って感情、特に怒のニュアンスだけで発してるわけじゃない。

やはりそこには、頭のSirが重要なんだ。全身全霊で声を出せ。
それ以上でもそれ以下でもない存在。 それ以外は許されない存在。それが全ての存在。

数回やりましたが、 やはり最初は硬く、形っぽい。
最後の二回は様になっていたと思いますが、 やはりこれだけでも出来てるか、出来ていないかは解る。

本番で使用するわけじゃないけど、これが出来ないと始まらないので毎回の恒例にして発しよう!

【追伸】
今日もコロスとして特大のヒントを貰いました!
話し合ってた部分と近い。そして、それよりも存在が客観的でオープンな印象を受けた。
更なる話し合いで固めていこうと思う_φ( ̄ー ̄ )
画像がないのが寂しい、これからはもっと現場を撮影しよう(; ̄O ̄)

by ともはる


今日は、
昨日欠席した分の動きをレクチャーしてもらい、その後、復習に移りました。

女の子座りを継続しようとするもまるでフェイスロックしている様な状態に(>_<)
身体が伸びると緊張感がなく不格好。
上半身と下半身が連動していない。

癖をいかに無くし、感情に合った動きを探り自分のものにするか、当面の課題です。基本的に身体がまだまだ全然固いのでひたすら実行します。

今日もお疲れ様でした! 十六茶は、カフェインが0なので飲んでも疲れません(^-^)

by ちかさん


帰宅したら届いていた大きな封筒。
コレが届くのを楽しみにしてたんです。

開けてみた。
チラシとフリーペーパーと特典のステッカーが。

そして……
本命のTシャツ!
好きなアーティストのツアーT(去年の)

嬉し過ぎて稽古中も着てました(*´∀`*)

by 中山

衣装探索後、稽古場へ。

ヒロインの近原正芳の急欠により、代役は演出助手の伊藤全記。
とはいえ、2ページ目の女の台詞は一言、2行ほどしかない。
まあ、リアクションは当然あるが……。

ということで、婦人やコロスをとりあえず重点的に見る。
発話のタイミングやニュアンスについて。

最終的には、コロスの役割について言及することとなった。

sir, yes sir!! について
そう、前にブログのP.S.に記したことから派生させることに。

「私は糞虫であります/(返事 Yes か No)/上官殿!」というように……
相手に敬意を払っているだけでなく、それと同時に己が格下であることを自認する意味があるということ。
卑下しているわけでなく、自らを貶めているのでなく、もともと格下。それを認めて同意しているのである。

これら二つの意味が、上演台本の台詞群の語尾(敬語)として現れている。
そういう風に考えておいて欲しい、というようなことを言った。

しかし、それだけではただかしこまるだけになってしまう。
私は、台詞の敬語に着目し、それがもたらす働きや、それにより導かれる役割について言及しただけだ。

次に考えるべきは、台本上のコロスという立場について、である。
人間として、と言うか、要はそれらから発生すべき感情について。

オイディプス王のコロスの役割でいうならば、王の行動や言動に対しての反応や、己の取り巻く環境(国・社会)に対しての提示などがある。(あまりに大雑把であるが……)
だから動揺し、嘆いたりする。しかし、その嘆きは、王の気持ちを代弁してるわけではない。客観的事実を捻じ曲げず、それに基づいて主観的な反応を示してるだけである。

今回のコロスの立場はあくまで婦人側……これは明らかである。
ただ、気をつけねばならないのは、劇構造上での役割は同じでも、オイディプスのコロスと同じ反応(王が嘆き、それに呼応してコロスも嘆く)とは限らないということだ。嘆く婦人に対して、コロスが婦人のように嘆くのはおかしい。婦人を主とするなら、また、コロスが軍人風なら、なおのこと。

では、彼らコロスのマテリアルはなんだ……。

割り振られた台詞はやたら感情的であり、扇情的でもある。
従属(軍人)と隷属(奴隷)という、主従関係の二面性。
自分の主が絶対である。絶対的な正義である。
その主が泣くとき、それにただ同情してともに泣くのか?
否、怒るであろう。怒らねばなるまい。怒りの矛先は当然、加害者、または弱い立場である。加害者でなければ加害者に、敵がいなければ敵に仕立て上げねばなるまい。己のため、主の正当化のために……。

P.S.
近原正芳が居なかったので、
試しに吉田朋玄が彼の衣装を着ました。
かなりキモい、と伊藤全記が申しておりました。
しかしこうも申してました。近さんなら似合いそう。
そんな演出助手になられました伊藤氏に、中山茉莉からシールが、私ラディーからTシャツが贈呈されました(笑 なお、シャツは明日披露とのこと。

by 演劇死神
 

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