伊藤は欠席。近原はひたすら自主練。
最初は音(音程のみ)にとらわれてたが、内面が形成され始めたのか、それっぽい響きが聞こえてきた。
吉田はグロッキーだった。咳が凄かった。熱も出てきてたようで、吐き気もあった? とにかくむせてた。
しかし、コロスに対して、今日も少々触れた。触れずにいられなかった。
と言うのも、素朴かつ重要な疑問が浮かんでいたからだ。
<ある特定のポーズでずっと突っ立ってていいのだろうか>
そのポーズに何の意味があるというのだ。職業や役割の説明をそんなことで説明してどうする。そんなの衣装で充分だ。もちろん考えに考え抜いて結果的にそれらのポーズを取るのは問題ない。きっと使うべき部分もあるだろう。しかし、ただなんとなくその姿勢で居るならば、この8枚全てがそれで完結しかねない。
己の台詞を発さなくても、その際のアクションでそれとなく雰囲気が伝わるような感じが欲しい。言葉に頼り切っては駄目だ。状況や状態や感情を媒体とした動的生命体っつーか。その上で言葉を紡いで欲しい。
言葉は無力だ。しかしその言葉を人間は扱っている。それに依存している。だから人間をもっとも貶めるには、言葉を奪うことが有効である。発する能力を猿ぐつわとかで封じることは最大の恥辱である。しかし一度、言葉を失い、失われていく身体の本来の力を取り戻し、その上で、もう一度、言葉を取得して欲しい。言葉を無条件で受け入れるのでなく、言葉と対等になって欲しいのだ。
しばらくして吉田に実践をさす。
彼はどうやら婦人になり切って、惨めな感じや苦しんでる感じの動きを構築してたようだ。
しかし私は指摘した。それはまったくの見当違いである、と。
確かに、今回のコロスは、婦人の言葉の代弁もしてなくはない。
台詞を割り振ってるのだから当たり前っちゃ当たり前。
しかし勘違いしてはならないのは、言葉の代弁であって、気持ちの代弁ではない、ということだ。
コロスは婦人の分身ではないのだ。
婦人側ではあるが、別に婦人の分身ではない。婦人の分身だとしても、それは婦人のある一面である。
残虐・拷問・悪魔的・攻撃的・悪意 etc
つまり、責め立てられる女の、被害妄想が膨らみ、その女の脳内に再現された婦人(怒りの化身)でなければならない。漫画とかで、主人公の脳内などに現れ、突如囁き始める悪魔のような存在、と言える。
昨日言及したコロスの役割についての理解が甘かったようである。コロスのマテリアルは何であったか。
今一度考えて欲しい。頑張れ!
……と、これで終わりそうな今日のブログ記事だが、そうではない。
実は、今日は主に中山を見たのだ。
まず、中山の自主練(これまでの復習)中の実践に少々口を出す。
文を細分化し、文節などで(場合によってはもっと細かく)区切り、単語一つ一つに意味やイメージや感情なるものを見出し、そのイメージング・プロセスによって一音一音の流れを意識し、再び台詞へと還元しなければならない。リズム・起伏・音程・音圧 etc
自分が思っている1.2倍くらいの強さでやってくれて構わない。
また、その分、動き・所作などは、時に人形のように美しくなければならない。発する言葉の強さに合った身体性が確立できれば、胡散臭さなどという低レベルな次元などどうでも良くなる。胡散臭いというのは、所詮、言葉と身体が連動してないことなのだ。
ストイックに頑張って欲しい。
どうやら彼女自身、独特なメディア式発声なるものがより細かなものとなっているのを感じた模様。
「王女メディア」をやったのが去年の2月下旬。
その後、「オリジナル作品」を経て、「人形の家」をやり、今年の「かもめ」へと繋がった。
ということは、それなりに要求されるもののレベルが上がっているのは至極当然と言える。
その後、昨日の終了間際に入れた動きの復習と調整をし、少々先へ進むことに。
「間、どれくらいだと思う? 長い? 短い?」
婦人「うーん、長いかなぁ」
「やっぱ? じゃあ試しに引っ張れるだけ引っ張ってみて」
婦人「(実践)」
「うーん、ちょっと気持ち悪いな。静止してるときは良かったんだけど、動き出しが気に喰わん」
色々と二人で試行錯誤。
結果……
ING版メデイア(王女メディア)の「奴にはセコムがある」的な動きだった。
指の出し方。目線の運び。首の角度。顔の表情。そして全ての速度。丁寧に、しっかりと……。
ある種、怪談話などで、人を惹き付けるのがやたらうまい語り手みたいな……。
また、その空間に立てられたろうろくの火みたいな……。
狙いが分かってくれたようで安心した。
ちなみに、中山さんはホラーが苦手です。痙攣します。そういう役が劇団では多いのに(笑
今日は、婦人の動きしか固められなかった。と言っても、終了間際になんとなく触れただけの部分もある。
明日、コロスも交えて、2ページ目が完成すればいいなぁ、とは思っている。
P.S.
今回の作品は特に、怒りを原動力にし、悪意を込める、という意識を持つといいかもしれない。
演劇死神