衣装探索後、稽古場へ。
ヒロインの近原正芳の急欠により、代役は演出助手の伊藤全記。
とはいえ、2ページ目の女の台詞は一言、2行ほどしかない。
まあ、リアクションは当然あるが……。
ということで、婦人やコロスをとりあえず重点的に見る。
発話のタイミングやニュアンスについて。
最終的には、コロスの役割について言及することとなった。
sir, yes sir!! について
そう、前にブログのP.S.に記したことから派生させることに。
「私は糞虫であります/(返事 Yes か No)/上官殿!」というように……
相手に敬意を払っているだけでなく、それと同時に己が格下であることを自認する意味があるということ。
卑下しているわけでなく、自らを貶めているのでなく、もともと格下。それを認めて同意しているのである。
これら二つの意味が、上演台本の台詞群の語尾(敬語)として現れている。
そういう風に考えておいて欲しい、というようなことを言った。
しかし、それだけではただかしこまるだけになってしまう。
私は、台詞の敬語に着目し、それがもたらす働きや、それにより導かれる役割について言及しただけだ。
次に考えるべきは、台本上のコロスという立場について、である。
人間として、と言うか、要はそれらから発生すべき感情について。
オイディプス王のコロスの役割でいうならば、王の行動や言動に対しての反応や、己の取り巻く環境(国・社会)に対しての提示などがある。(あまりに大雑把であるが……)
だから動揺し、嘆いたりする。しかし、その嘆きは、王の気持ちを代弁してるわけではない。客観的事実を捻じ曲げず、それに基づいて主観的な反応を示してるだけである。
今回のコロスの立場はあくまで婦人側……これは明らかである。
ただ、気をつけねばならないのは、劇構造上での役割は同じでも、オイディプスのコロスと同じ反応(王が嘆き、それに呼応してコロスも嘆く)とは限らないということだ。嘆く婦人に対して、コロスが婦人のように嘆くのはおかしい。婦人を主とするなら、また、コロスが軍人風なら、なおのこと。
では、彼らコロスのマテリアルはなんだ……。
割り振られた台詞はやたら感情的であり、扇情的でもある。
従属(軍人)と隷属(奴隷)という、主従関係の二面性。
自分の主が絶対である。絶対的な正義である。
その主が泣くとき、それにただ同情してともに泣くのか?
否、怒るであろう。怒らねばなるまい。怒りの矛先は当然、加害者、または弱い立場である。加害者でなければ加害者に、敵がいなければ敵に仕立て上げねばなるまい。己のため、主の正当化のために……。
P.S.
近原正芳が居なかったので、
試しに吉田朋玄が彼の衣装を着ました。
かなりキモい、と伊藤全記が申しておりました。
しかしこうも申してました。近さんなら似合いそう。
そんな演出助手になられました伊藤氏に、中山茉莉からシールが、私ラディーからTシャツが贈呈されました(笑 なお、シャツは明日披露とのこと。
by 演劇死神